録音を聴く
2024-03-19T10:55:31+09:00
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クラシック音楽とジャズとオーディオと歴史映画のブログ [杉本良明]
Excite Blog
『サウルの息子』2015年
http://compact.exblog.jp/33722538/
2024-03-19T10:40:00+09:00
2024-03-19T10:45:45+09:00
2024-03-19T10:40:39+09:00
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映画
『サウルの息子』(サウルのむすこ、ハンガリー語: Saul fia、英語: Son of Saul) は、2015年のハンガリー映画。第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台に、ゾンダーコマンドの囚人であるハンガリー人の男サウルに起きる一日半の出来事を描く。ネメシュ・ラースローが監督を務め、ネメシュとクララ・ロワイエ(フランス語版)が脚本を務めた。
本作は2015年、第68回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で初上映され、グランプリを受賞した。第40回トロント国際映画祭の特別招待部門でも上映された。第88回アカデミー賞では外国語映画賞を受賞した。ハンガリー代表作品が同賞にノミネートされるのはサボー・イシュトヴァーンの監督による1988年の『ハヌッセン(ハンガリー語版)』以来27年ぶり、受賞するのは同じくサボーによる1981年の『メフィスト(ハンガリー語版)』に次いで史上2度目のことであった。第73回ゴールデングローブ賞でもハンガリー映画としては初となる外国語映画賞を受賞した。
あらすじ
1944年10月のある日、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所でゾンダーコマンドの一員として死体を処理していたユダヤ系ハンガリー人のウースランデル・サウル (ルーリグ・ゲーザ(ハンガリー語版)) は少年の死体を見つけ、それを自分の息子の遺体だと思い込む。少年はガス室に送られた後もまだ息をしていたため、解剖の対象に指定される。サウルは少年の体をユダヤ人の囚人医師ミクローシュ (ジョーテール・シャーンドル(ハンガリー語版)) に届けるよう命令されるが、彼に頼み込んで解剖が行われるのを阻止する。そしてサウルは自分の息子だという死体にユダヤ教に則った埋葬を施すため、ラビを探すことにする。(以上Wikipedia)ゾンダーコマンドはその仕事内容から、ナチス・ドイツの大量虐殺を認識しているため「秘密保持者(Geheimnisträger)」とされており、ガス室に送られるユダヤ人以外の囚人達からは隔離されていた。また、外部への情報漏えいを防ぐため、ゾンダーコマンドの囚人はほとんどが3か月から長くて1年以内にガス室に送られて殺され、新しく連れてこられたユダヤ人が代わりとなっていった。特別な技術があれば、他の囚人より長く生き延びることができる可能性もあった。新人ゾンダーコマンドの初仕事は、彼らの前にこの仕事を行っていた囚人たちの死体処理である。ゾンダーコマンド結成後、収容所解放までに14サイクルもの入れ替えがあったとされる。(以上Wikipedia)収容所ガス室もの。極めて評価の高い作品だ。でも人間味を感じてホッとする場面は皆無に等しい。確かに収容所の様子はよくわかった。しかし怒号・罵声の飛び交う地獄世界を延々見続けるのは大変に辛い。2時間に満たない短い作品だが、見るのに最も骨が折れた。自分の息子だと思い込んだ遺体を弔うというが、そのあたりも良くわからない。死んでしまえば単なる貝殻だ。聖職者なんぞ連れて来て何になるのか。それがユダヤ的価値観だろうか。あんまり深読みしても意味はない感じ。驚くべきはゾンダーコマンドに加えて、収容所で毎日働くナチの親衛隊がいたということ。人間こういうことが平気でできるようになるという究極の事例だろう。
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『ハノーバー・ストリート 哀愁の街かど』1979年
http://compact.exblog.jp/33722208/
2024-03-18T23:14:00+09:00
2024-03-19T10:55:31+09:00
2024-03-18T23:14:10+09:00
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映画
『ハノーバー・ストリート 哀愁の街かど』(Hanover Street)は、1979年に公開されたアメリカ映画。第二次世界大戦下のロンドンを舞台にした恋愛映画である。監督はピーター・ハイアムズ。ハリソン・フォード、レスリー=アン・ダウン、クリストファー・プラマー出演。
あらすじ
第二次世界大戦中のロンドン。B-25爆撃機のアメリカ人パイロット、デイヴィッド・ハロラン中尉(ハリソン・フォード)と、イギリス人看護師のマーガレット・セリンジャー(レスリー=アン・ダウン)はロンドン大空襲のさなか、ハノーバー・ストリートで偶然出会う。(以上Wikipedia)ハノーバー・ストリートはロンドン都心の短い通りで、映画の出会いの舞台となった。映画は大衆受けしそうだが、ストーリーとしてはいろいろ不自然で突っ込みどころ満載。銃弾が飛び交う中、橋から落ちかけた大の男を引っ張り上げるなんてとてもじゃないができっこない。それができるのは映画だからというしかない。しかし、最後は女の幸せを願ってすっぱり別れるというエンディングはなかなか潔い。ちょっと『カサブランカ』のエンディングと似たところがある。主演のハリソン・フォードも若い。『スター・ウォーズ』(1977年)に出ていた頃だ。
イギリスからドイツに向け出撃していたB-25は双発の爆撃機で、通算1万機製造されたとのこと。特に急造の野戦滑走路や劣悪な整備環境での運用を余儀なくされる太平洋戦域で重宝された。しかも離着陸性能に優れていたので、空母からの発進にも対応できた。そのため1942年4月18日の「ドゥーリトル空襲(東京初空襲)」の爆撃機に選ばれて空母ホーネットを発艦。東京、横須賀、神戸などを爆撃し、中国大陸に不時着したことでも知られる。
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『ムッソリーニとお茶を』1998年
http://compact.exblog.jp/33721921/
2024-03-18T18:36:00+09:00
2024-03-18T23:26:22+09:00
2024-03-18T18:36:58+09:00
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映画
『ムッソリーニとお茶を』(原題:Tea with Mussolini)は、1998年制作のイギリス・イタリア映画。
ムッソリーニ時代のイタリア・フィレンツェを舞台に、イタリア人の少年とイギリスの婦人たちの交流を描いた作品で、フランコ・ゼフィレッリ監督の自伝的作品である。
あらすじ
1935年、イタリア・フィレンツェ。服地商パオロの秘書を勤める英国人メアリーは、彼の私生児ルカを英国式教育で育ててほしいと頼まれ、困惑しながらも彼の教育を始める。
現地の英国人コミュニティには、メアリーの友人の芸術家アラベラ、元大使の未亡人レディ・レスターを筆頭とする英国貴婦人グループや、考古学者ジョージー、元踊り子のエルサら米国人女性の一団がいた。ルカはそこで彼女たちから愛と芸術の素晴らしさを教えられる。
やがて時代はムッソリーニ独裁政権のもと、第二次世界大戦の足音が迫り、イタリアでは外国人排斥運動が起こる。ルカは時流を読んだパオロの勧めで、ドイツ語を学ぶためオーストリアに行く。
時は流れ1940年、成長したルカが帰国すると、メアリーら育ての親の貴婦人たちは強制収容所に移送されようとしていた。(以上Wikipedia)イタリアの無条件降伏ムッソリーニ政権のイタリアはギリシア、北アフリカ、地中海でイギリスに敗れ、ドイツ軍の支援でようやく戦線を維持していたにすぎなかったので、1943年早くも休戦を意図し始めた。1943年7月9日の連合軍のシチリア上陸を受けると、25日に軍の一部が国王の了解を得てクーデターを決行し、ムッソリーニは失脚、監禁された。
代わって成立したバドリオ内閣は1943年9月8日に連合軍との休戦(降伏)を発表し、ドイツに宣戦布告した。ヒトラーは直ちにドイツ軍を派遣、イタリア軍を武装解除してローマを占領した。国王と政府はローマを脱出、南部のプリンディシに逃れた。これは国王に対する国民の支持を失墜させることになった。ドイツ軍はさらに幽閉されていたムッソリーニを救出し、北部に連行し政権を作った(サロ共和国という)が、ムッソリーニは傀儡で実権はドイツ軍が握った。
こうしてイタリアは、北部はドイツ軍の支配、南部は連合軍が占領という南北分断の事態となり、北イタリアではファシスト政権時代に獄中にあった共産党員が解放され、ドイツ軍に対するパルチザン闘争を開始した。10月1日にナポリに侵攻した連合軍(アメリカ軍)はドイツ軍の抵抗にあって苦戦、イタリア戦線は膠着した。特に44年2月のモンテカシーノ(中世のモンテカシーノ修道院の所在地)の激戦は勝敗がつかなかった。また北イタリアのミラノなどで、ドイツとサロ共和国に対する大規模なストライキが広がった。1944年6月、連合軍がようやくローマを解放、パルチザン勢力はバドリオ内閣に代わる連立内閣を樹立した。ドイツ軍との戦闘は翌年6月まで続く。パルチザンに手を焼いたドイツ軍は徐々に後退、ムッソリーニも逃亡を図ったが、1945年4月28日、パルチザンに捕らえられ、ミラノ市民の前に引き出されて愛人とともに逆さ吊りにされて殺された。二日後の4月30日にはヒトラーが自殺、ローマ枢軸を担った二人はほぼ時を同じくして悲劇的最後を迎えた。(以上『世界史の窓』)
フランコ・ゼフィレッリ監督の自伝的作品なのだそうだ。一種のコメディーで、戦争の悲壮感を感じない。登場する老婦人はみんなマイペースだが、収容所に送られるというのはそういうマイペースを一切許さないはず。ただし、イタリアは1943年9月に早くも降伏し、ドイツに宣戦布告している。戦争をあくまで手段と捉えて、日独のように戦争そのものが目的にならなかった。死者も軍人市民併せて43万と日独に比べてひと桁少ない。ラテン気質もあるだろうが、このあたりはローマ帝国以来のイタリア人の英知だろう。
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クレメンス・クラウスのワルツ集
http://compact.exblog.jp/33721722/
2024-03-18T14:52:00+09:00
2024-03-19T05:56:13+09:00
2024-03-18T14:52:14+09:00
yoshisugimoto
クラシック音楽CD
クラウス盤は古いモノラルで、その昔装置が良くなかったころは痩せた聴き辛い音に思えた。今は2A3の真空管アンプとフルレンジで鳴らしているが、まことに馥郁たる音がする。この味は古いモノラルだから出せるのだ。
Strauss Family Concerts #1~美しく青きドナウ~Clemens Krauss 1951-53Strauss Family Concerts #2~ウィーンの森の物語~Clemens Krauss 1951-53
Strauss Family Concerts #3~オーストリアの村つばめ~Clemens Krauss 1951-53
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『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』2005年
http://compact.exblog.jp/33720941/
2024-03-17T21:20:00+09:00
2024-03-18T07:13:22+09:00
2024-03-17T21:20:27+09:00
yoshisugimoto
映画
『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』(しろバラのいのり ゾフィー・ショル さいごのひび、原題: Sophie Scholl – Die letzten Tage)は、2005年制作のドイツの伝記映画。
第二次世界大戦中にナチスに対する抵抗運動を行った白いバラのメンバーの一人で、国家反逆罪により21歳で処刑されたゾフィー・ショルの最期の日々を描く。
2005年のベルリン国際映画祭で監督賞と女優賞を受賞した。(以上Wikipedia)日本も戦時中は特別高等警察(特高)があって似たような取締りをやっていた。拷問や虐待で死に追いやられた人も多かったようだ。裁判という形をとらずに非国民としてリンチされたのではないかと思う。それでもナチスの判決後即日死刑は無茶苦茶だ。ナチスの場合は国内外でユダヤ人を遠慮なく虐殺していた関係で、日本よりもっと過激に政治犯を処刑したのではないかと思う。一旦独裁政権ができると、非常事態を理由に独裁はいよいよ先鋭化し、徹底的に敗北しない限り、後戻りできないのはどこでも同じだ。
人民裁判と言っても完全な出来レース、形だけの手続きに過ぎない。映画で主人公が予言したように、裁いた側は戦後裁かれる側に回ったことは疑いがない。自分たちがやったことの因果が自分たち自身に返ってくるのを痛感したことだろう。でも生き延びるためには他の選択肢はなかったと考えたに違いない。それも一理あるのだが、ドイツが単なる敗戦国ではなく、国家政策としてユダヤ人やポーランド人虐殺を行った犯罪国家であったのは厳然たる事実だ。
現在の日本には映画のような葛藤はない。しかし、映画の世界はロシア、中国、北朝鮮、その他の独裁政権に関しては、現在でもそっくりそのままの現実なのだ。中央集権国家にして民主主義国家であることはそれほど難しいことであり、独裁政権の恐怖政治は歴史の進化の過程で必ず通る道なのだと思う。人類は果たして独裁政権の恐怖政治を克服できるのだろうか?これには悲観的にならざるを得ない。繰り返すが、独裁政権は一旦できてしまうと後戻りできない怪物なのだ。
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『アンネの日記』1959年
http://compact.exblog.jp/33720541/
2024-03-17T15:08:00+09:00
2024-03-18T07:23:27+09:00
2024-03-17T15:08:11+09:00
yoshisugimoto
映画
『アンネの日記』(アンネのにっき、The Diary of Anne Frank)は、ジョージ・スティーヴンス監督・製作による1959年のアメリカ合衆国の白黒映画である。
概要
1947年に出版されたアンネ・フランクの著書『アンネの日記』は、1952年に英訳された。これをフランセス・グッドリッチとアルバート・ハケットは戯曲化し、1955年10月に『The Diary of Anne Frank』がブロードウェイで公演された。アンネ役はスーザン・ストラスバーグであった。舞台はトニー賞の演劇作品賞を受賞し、ピューリッツァー賞の戯曲部門も受賞した。本作品はこの舞台を元にして作られ、脚本もグッドリッチとハケットが担当した。
1958年3月5日から8月11日にかけて、アムステルダムで主要な撮影が行われた。追加の撮影は同年11月に行われた。
隠れ家の住人は実際の人々が全員登場するが、人々を支えた男性のクラーレルとコープハイスは、クラーレル、女性のミープとエリーは、ミープにそれぞれまとめられている。
第12回カンヌ国際映画祭ではコンペティション部門で上映された。第32回アカデミー賞では作品賞を含む8部門にノミネートされた。
(以上Wikipedia)3時間にも及ぶ長い映画だが、古い映画の様式美とはこういうものか!という作品。全編セット撮りの心理劇だが、年単位で潜伏すると人間どうなるか、よく描かれている。牢獄ではないがまさに牢獄、心理学的にも究極の事例だと思われるが、アンネが言うように心の持ち方でずいぶん牢獄の生活も変えられるのだろう。日記帳がなんとか残り、生き残った父親によって出版されたことは奇蹟といっていい。全世界がユダヤ人の苦悩を知ることになり、アンネの死は決して無駄にはならなかった。
それにしても出自がユダヤ人というだけで虐待され、死ななくてはならなかった300万人の無念さはどうだろう。今のイスラエルがハマスと対峙し続ける気迫も理解できる。戦後処理はドイツに学べ、と日本人に説教たれたドイツ人ジャーナリストがいたが、いい気なものである。「この野郎」と思うしかない。
なお、DVDで日本語を選択したはずなのに、英語音声と日本語音声が交互に出る。何だこれはと思ったら理由がわかった。「日本語吹替音声約94分収録。 ※現存するテレビ放送当時のものを収録しております。一部吹替の音源がない部分は字幕スーパーとなっております」とある。DVDでは3時間弱の作品なので、日英まだらなのだ。ラクに視聴したいので、日本語音声があるものは迷わず日本語を選ぶことにしている。DVDは「ゲオの宅配CDレンタル」で借りたもの。DVDは回転音がうるさいので、まずリッピングし、それを視聴し、視聴し終われば容量食うので消去するというのが当方のやり方である。
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『頭上の敵機』1949年
http://compact.exblog.jp/33719305/
2024-03-16T12:20:00+09:00
2024-03-17T07:28:04+09:00
2024-03-16T12:20:49+09:00
yoshisugimoto
映画
『頭上の敵機』(ずじょうのてっき、Twelve O'Clock High)は、1949年のアメリカ合衆国の戦争映画。監督は ヘンリー・キング。アメリカの第二次世界大戦参戦初期にナチス・ドイツ及びナチス・ドイツ占領下のフランスに白昼爆撃を敢行したアメリカ陸軍第8空軍の兵士を描いた本作は、1948年のサイ・バートレット(英語版)、バーン・レイ・Jr(英語版)作の小説『Twelve O'Clock High』を、原作者であるバートレットとレイ、ヘンリー・キング(クレジット無し)監督が脚本を担当し、グレゴリー・ペック、 ヒュー・マーロウ、ゲイリー・メリル、ミラード・ミッチェル、ディーン・ジャガーらの出演で映画化した作品である。
『頭上の敵機』は第22回アカデミー賞で4部門にノミネートされ、ディーン・ジャガーが助演男優賞を、トーマス・T・モールトンが録音賞を受賞している。1998年にアメリカ議会図書館アメリカ国立フィルム登録簿に文化的、歴史的、芸術的に顕著な作品として登録されている。「12時の高さ」という英語タイトルは、機体を中心とした架空の時計の文字盤を参照して敵航空機の位置を指示する慣行で、攻撃者が真上から近づいていることを意味する。よって邦題は『頭上の敵機』となっている。戦闘現場は当時の記録映像で間に合わせて、人間ドラマとして主にスタジオで制作している。昔テレビでやっていた関西系の『部長刑事』を思い出した。第二次世界大戦中、イギリスに駐留しナチス・ドイツに対する昼間爆撃を任務としていたアメリカ空軍の爆撃機B-17を描いた映画に『メンフィス・ベル』(1990年)という作品があるが、それに40年先んじた古い映画だ。主演のグレゴリー・ペックの吹き替えがジェット・ストリームの城達也でこれが痺れる声である。
内容はというと古い映画の様式美は感じるが、戦争のリアリティが感じられない。敵戦闘機の砲弾を浴びれば血だらけになり、即死したり、重度の障害が残るものだが、そうした生々しい悲惨さが伝わって来ない。戦争を肯定も否定もしていないし、准将のリーダーシップも肯定も否定もしていない。准将はカタトニー(緊張病)とみられる精神障害を起こしたが、その後どうなったか、映画では触れていない。どう感じるかは観客に一任されている印象で、その意味では中途半端な作品である。
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『ワルキューレ』2008年
http://compact.exblog.jp/33718639/
2024-03-15T18:36:00+09:00
2024-03-16T09:06:24+09:00
2024-03-15T18:36:04+09:00
yoshisugimoto
映画
『ワルキューレ』(原題: Valkyrie)は、2008年のアメリカ合衆国・ドイツ合作映画。1944年に起きたドイツ国防軍将校によるヒトラー暗殺計画「7月20日事件」と、その指揮を執った実在の将校クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐を描く。「ワルキューレ」は、7月20日事件の際にシュタウフェンベルク大佐らが発動した、ドイツ国防軍の部隊の一つである国内予備軍を用いた内乱鎮圧などを目的とした作戦計画を意味する。(以上Wikipedia) クラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ(伯爵)・フォン・シュタウフェンベルク(Claus Philipp Maria Schenk Graf von Stauffenberg, 1907年11月15日 - 1944年7月21日)は、ドイツの軍人、貴族。軍における最終階級は参謀大佐(Oberst i.G.)。貴族の爵位は伯爵(Graf)。ドイツ陸軍国内予備軍参謀長を務めていた際の1944年7月20日に、東プロイセンの総統大本営「狼の巣」において総統アドルフ・ヒトラーを時限爆弾によって暗殺する計画を実行したが、ヒトラーは軽傷を負うに留まった。「ヴァルキューレ作戦」発動によるクーデタ計画にも失敗し、7月21日に上官の国内予備軍司令官フリードリヒ・フロム上級大将の命令により逮捕され、銃殺刑に処せられた。現在のドイツ連邦共和国においては、英雄として顕彰されている。
(以上Wikipedia)
似たような映画に『日本の一番長い日』という邦画がある。敗戦間近なのに参謀将校たちが徹底抗戦しようとするクーデターで、『ワルキューレ』とは正反対。日本には日本の事情があって、日本にシュタウフェンベルク大佐に相当する人物は出なかった。もともと軍人だし、ドイツの帝国主義にはむしろ賛成。ただしナチスには批判的。つまり根っからの平和主義者ではなく、憂国のエリートという人物だった。いずれにせよ独裁政権が倒れるのは簡単でないということ。敗色濃厚でもバカな軍部が権力を掌握したまま最後まで突き進むという構図は日独とも同じ。
シュタウフェンベルク大佐は典型的な名門貴族出身のユンカー。事件後、シュタウフェンベルク家は取り潰され、夫人や子供も収容所に送られた。ドイツのユンカーは戦後ソ連にひとり残らず処刑されている。クーデターを起こさずにながらえていたとしても、どうなっていたかわからない。クーデターを起こして名を残し、遺族はかえって生き延びることができたようだ。夫人は21世紀に入っても存命だった。
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ライナーのワルツ集
http://compact.exblog.jp/33718123/
2024-03-15T12:22:00+09:00
2024-03-15T16:39:05+09:00
2024-03-15T12:22:39+09:00
yoshisugimoto
クラシック音楽CD
ライナーの有名なワルツ集。大歌手のシュワルツコップが無人島に持って行く1枚に選んだことでも知られる。しかし、このSACD、実は2枚のLPの音源からできているのを初めて知った。ただし右のLPの2曲は欠落している。うれしいことに古いCDでは欠落している2曲が収録されていて、PCオーディオでならオリジナルLP2枚の再現が可能だった。それぞれ1957年、1960年の収録。こんな大名盤にそんな秘密があったとは!何かトクした気分である。
1: ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「朝刊」Op.279
2: ヨハン・シュトラウス2世:皇帝円舞曲Op.437
3: ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」
4: ウェーバー:「舞踏への勧誘」(ベルリオーズ編)
5: ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」Op.164
6: リヒャルト・シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」~ワルツ(ライナー編)
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(指揮)
録音:1957年4月15日(2-6)16日(1)、シカゴ、オーケストラ・ホール
1) ワルツ 「ウィーン気質」 Op.354
2) 芸術家の生涯 Op. 316
3) 我が人生は愛と喜び
4) ワルツ 「南国のバラ」 Op.388 (喜歌劇 「女王陛下のハンカチ」より)
5) 宝のワルツ Op.418 (喜歌劇「ジプシー男爵」より)
6) ポルカ 「雷鳴と電光」 Op.324
【演奏】
フリッツ・ライナー(指揮)、シカゴ交響楽団
【録音】
1960年
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『プラトーン』1986年
http://compact.exblog.jp/33717958/
2024-03-15T11:11:00+09:00
2024-03-15T11:24:40+09:00
2024-03-15T11:11:48+09:00
yoshisugimoto
映画
『プラトーン』(英語: Platoon)は、1986年公開のアメリカ映画。製作会社はオライオン・ピクチャーズで、監督・脚本はオリバー・ストーン。出演はチャーリー・シーン、トム・ベレンジャー、ウィレム・デフォー。
第59回アカデミー賞 作品賞など4部門、第44回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。
タイトルの「プラトーン」は、軍隊の編成単位の一つで30名から60名程度で構成される小隊の意味である。 英語での発音は「プラトゥーン」に近い(英語発音: [pləˈtuːn])。
概要
1970年代の『ディア・ハンター』や『地獄の黙示録』に次いで、1980年代にベトナム戦争を描いたオリバー・ストーンの代表作である。
ベトナム帰還兵であるオリバー・ストーンが、アメリカ陸軍の偵察隊員であった頃の実体験に基づき、アメリカ軍による無抵抗のベトナム民間人に対する虐待・放火、虐殺や強姦、米兵たちの間で広がる麻薬汚染、仲間内での殺人、誤爆、同士討ち、敵兵に対する死体損壊など、現実のベトナム戦争を描く。
アメリカ国内だけで予算の20倍を超える1億3800万ドルの興行収入を記録した。(以上Wikipedia)ベトナム戦争はゲリラ戦だったが、ゲリラ戦は兵士と民間人の区別がつかない。結果、何の罪もない民間人を容疑で虐殺することになる。米軍と言っても戦国時代の野武士と変わらず、軍規も何もあったものではない。だんだん何に対して戦っているのかもわからなくなってくる。そうした戦場の現実を余すところなく描いた一作。個人的には米軍が村を焼き払うシーンに衝撃を受けた。神をも恐れぬ罪深いことをやった因果でベトナム戦争は結果的に大敗戦だった。ベトナム戦争には肯定的な面がほぼない。残念ながら日中戦争も似たようなものだっただろう。
それにしてもこの映画はほぼ40年前、ベトナム戦争はほぼ60年前、いずれも当方が生まれてからのことで、遠い過去ではない。現在でもウクライナを始めとする紛争地域で同じことが続いているのは慨嘆するしかない。
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ハイドンの「セレナード」
http://compact.exblog.jp/33717691/
2024-03-15T06:58:00+09:00
2024-03-15T09:48:40+09:00
2024-03-15T06:58:09+09:00
yoshisugimoto
クラシック音楽CD
ロマン・ホフシュテッター(Roman Hoffstetter, 1742年4月24日 ラウデンバハ - † 1815年5月21日 ミルテンベルク・アム・マイン)は、オーストリアのベネディクト会の修道士であり、アマチュア作曲家。名はローマン、姓はホーフシュテッターとも表記される。
ホフシュテッターはフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの信奉者であり、ハイドンの音楽様式にならって自らも作曲を行なった。特に『6つの弦楽四重奏曲 作品3』は長らくハイドンの作品と見なされていたが、現在ではホフシュテッターの作品であることが明らかになっている。その中でも『弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品3-5』の第2楽章(アンダンテ・カンタービレ)は、長らく『ハイドンのセレナード』の名で親しまれてきたため、呼び名にねじれ現象が起こっている。(以上Wikipedia)ハイドンの「セレナード」はよくCDでも見かける。ハイドンの代表曲だろうと思っていたら、リストにない!実は偽作で、ほんとうの作者はホフシュテッターという人物ということだ。今の今まで知らなかった!クラシック音楽は広大無辺である。
そもそもハイドンの弦楽四重奏曲はなかなかややこしい。一般的な何番のほかに、作品番号やホーボーケン番号がある上、作品番号に枝番がついている。枝番は通常1~6で一作品6曲のセットになっており、それをまとめて「〇〇四重奏曲」と名前が付けられている。「ひばり」のある作品64と「五度」「皇帝」「日の出」「ラルゴ」といった名曲ぞろいの作品76から聴き始めるのが定跡とされる。ハイドンの弦楽四重奏曲は交響曲同様、作品数が多いので、有名曲から聴いていくしかない。
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『クレオパトラ』1963年
http://compact.exblog.jp/33717062/
2024-03-14T16:50:00+09:00
2024-03-14T23:28:31+09:00
2024-03-14T16:50:08+09:00
yoshisugimoto
映画
『クレオパトラ』(Cleopatra)は、1963年のアメリカ合衆国の歴史映画。 監督はジョーゼフ・L・マンキーウィッツ、出演はエリザベス・テイラー、レックス・ハリソン、リチャード・バートンなど。 古代エジプトの女王クレオパトラ7世を主人公に、彼女とユリウス・カエサル(シーザー)やマルクス・アントニウス(アントニー)との関係を中心にエジプト王朝(プトレマイオス朝)の最後までを描いている。
概要
ハリウッドの黄金時代が閉じられた、即ちスタジオシステムが崩壊した50年代から60年代に観客を劇場に呼び戻すために作られた大作映画の一本。本作により20世紀フォックスは破滅の危機に陥った。(中略)
ビデオの普及によりクラシック作品に再度価値が見出された現在では、プレミア上映時の4時間5分のフィルムが発掘されており、DVDなどで鑑賞することができる。また当初の前後編2本立て6時間の構想の実現のため、失われた素材の捜索なども試みられている。製作公開時に悪評が定着したこともあって、今もって評価の分かれる作品であるが、豪奢な衣装やセット、銀幕を代表するスターに二十数万人のエキストラ、格調高い音楽や台詞回しなど、ハリウッドの黄金時代をしのぶにふさわしい超大作であることは間違いない。(以上Wikipedia)アクティウムの海戦は前31年9月1日、アントニウス麾下の500隻とオクタウィアヌス麾下の250隻のガレー船で行われた。クレオパトラもアレクサンドリアから軍船を仕立て、自ら指揮してアントニウス軍を支援した。アントニウスの海軍の軍船は多くが五層漕ぎの大型船であったため重く、操縦が不自由であった。さらに漕ぎ手が不足し、十分な能力を発揮できなかった。それに対してオクタウィアヌス側の軍船は2ないし3層漕ぎが大半で迅速な行動が出来た。戦闘は、互いにしっかりした材料で船腹を艤装していたので、かつてのような敵船に体当たりする戦法は、かえって自船が壊れてしまう恐れがあったので採られず、アントニウス軍は船のやぐらの上から投石機で石弾を浴びせ、オクタウィアヌス軍は敵船に肉薄して飛び火道具で火を放つ戦法を採った。
4時間ほどの戦闘で、アントニウス軍の軍船の多くは炎上し、航行不能に陥った。アントニウス軍の巨船が次々と沈んでいくのを見て戦況不利を悟ったクレオパトラは勝利を諦め、アレクサンドリアに向けて撤退を開始した。また、アントニウス軍の艦船の中にもオクタウィアヌス軍に投降する軍船が出てきた。
アントニウスは戦場を離脱し、ギリシア沿岸に逃れた後、クレオパトラを追ってアレクサンドリアに逃れた。しかし、クレオパトラはもはやアントニウスを見放していたので、復縁を拒否、失意のアントニウスはやがて自殺する。クレオパトラは再起を期してオクタウィアヌスに近づこうとするが失敗し、彼女も自殺する。
指揮官が逃亡したためアントニウス軍の残った艦船は降伏し、アクティウムの海戦は終わった。(以上『世界史の窓』)
プトレマイオス15世カエサル
[生]前47.6.
[没]前30
プトレマイオス朝最後の王 (在位前 44~30) 。クレオパトラ7世の子。父はユリウス・カエサルといわれ,カイサリオン (小カエサル) とも呼ばれた。前 46年に両親に伴われてローマに滞在中,カエサルから正式に認知された。エジプトに帰国後,母クレオパトラとともに王位についた。クレオパトラの野心は彼をローマ王にすることであった。のちにクレオパトラと M.アントニウスが結ばれると,15世は「諸王の王」と称された。しかしアクチウムの戦いでアントニウスが敗れると,クレオパトラはカイサリオンを紅海に面した港ベレニケに送って亡命させようとしたが,オクタウィアヌス (のちのアウグスツス ) によってアレクサンドリアに連れ戻され,処刑された。ここにプトレマイオス朝約 300年の歴史は終りを告げた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典前編後編併せて4時間を楽に超えるので、休み休み見終えた。ハリウッドの歴史に残る超大作だが、20世紀フォックスは傾き、批評家の評価はイマイチという作品。映画では恋愛ものとしての脚色が見られるが、敗れたアントニウスなどクレオパトラが相手にするとは思えない。何とか王朝の存続を考えたに違いないが、すでに自身も若くなく、オクタヴィアヌスは籠絡できなかった。クレオパトラ7世の子、カイサリオンはプトレマイオス15世として即位していたが、17歳で処刑されている。この母子はちょっと淀の方と秀頼を連想させる。
カエサルはアントニウスでもカイサリオンでもなくオクタヴィアヌスを後継者としたが、カエサルがこの若者の素質を見抜いていたのだろう。建前上共和制の伝統を守ったうえで、カエサルが実行しようとしていたことを次々と実現してゆく非凡な政治手腕を持ち合わせていた。
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『ハクソー・リッジ』2016年
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2024-03-13T20:50:00+09:00
2024-03-14T08:07:40+09:00
2024-03-13T20:50:58+09:00
yoshisugimoto
映画
『ハクソー・リッジ』(Hacksaw Ridge)は、2016年のアメリカ合衆国の伝記映画。監督はメル・ギブソン。出演はアンドリュー・ガーフィールド、サム・ワーシントン、ルーク・ブレイシー(英語版)、テリーサ・パーマー、ヒューゴ・ウィーヴィング、レイチェル・グリフィス、ヴィンス・ヴォーン。
第二次世界大戦の沖縄戦で衛生兵 (Combat Medic) として従軍したデズモンド・T・ドスの実体験を描いた戦争映画。デズモンドはセブンスデー・アドベンチスト教会の敬虔な信徒であり、沖縄戦で多くの人命を救ったことから、「良心的兵役拒否者 (Conscientious objector)」として初めて名誉勲章が与えられた人物である。
「ハクソー・リッジ」とは、沖縄戦において、浦添城址の南東にある「前田高地」と呼ばれた日本軍陣地。北側が急峻な崖地となっており、日本と連合国両軍の激戦地となったことから、アメリカ軍がこの崖につけた呼称(Hacksaw=弓鋸)である。
2017年の第89回アカデミー賞において録音賞と編集賞を受賞した。(以上Wikipedia)沖縄戦
太平洋戦争末期,沖縄で行われた地上戦。米国軍は1945年3月,約55万人の大艦隊をグアム島から発進し,4月に本島中部西海岸に上陸。日本軍の兵力は現地召集の防衛隊と学徒隊2万人余を加えても約10万人であった。3ヵ月に及ぶ戦闘は多数の住民を巻き込んで行われ,6月23日,牛島満司令官は最期まで戦えと命じて自決。ここに日本軍の組織的な抵抗は終わるが,沖縄の日本軍が降伏調印したのは9月7日であった。沖縄戦の犠牲者は日本軍9万人余,一般住民9万人余,米国軍1万3000人弱とされる。沖縄県民の犠牲者は12万人以上と推定され,その中には鉄血勤皇(てっけつきんのう)隊とよばれた男子学徒隊,ひめゆり部隊などの女子学徒隊の犠牲者も含まれている。沖縄戦の最大の特徴は,非戦闘員に対する配慮が全くなされず,正規軍よりも一般住民の犠牲が大きかったという点にある。精神的にも退路を断たれた中での住民の集団自決,日本軍によるスパイ取締りに名を借りた住民虐殺,食料強奪,壕(ごう)追出しなどが,悲劇を一層深刻なものにした。なお,6月23日を沖縄では〈慰霊の日〉として1965年以来独自の祝日と定めている。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディア
メル・ギブソン監督らしいヒューマンな作品。現在の戦争映画なので、砲弾で手足がバラバラになり、内臓が露出するところまで撮影されている。沖縄戦は3か月にも及び、犠牲者の数もけた違いに多い。米軍の犠牲者は犠牲者全体の6パーセントほどで、主人公の衛生兵が抜群の働きをした。武器を持たないでも従軍させてしまうのは米国らしい合理的な判断。背景には米国が宗教国家というバックボーンがある。旧日本軍なら無理だっただろう。
史実として押さえるべきは沖縄県民の犠牲者が多いことで、県民の4人にひとりが亡くなったことになる。上陸前にあれだけ艦砲射撃や空爆を食らったのだから無理もないが、日本軍によるスパイ取締りに名を借りた住民虐殺は情けない限り。ハード面のみならずソフト面でも旧日本軍は米軍に劣っていたというしかない。
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シェリング/クライスラー名曲集
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2024-03-13T16:45:00+09:00
2024-03-13T17:20:54+09:00
2024-03-13T16:45:34+09:00
yoshisugimoto
クラシック音楽CD
【収録情報】
1. クライスラー:ウィーン奇想曲 op.2
2. クライスラー:美しきロスマリン
3. クライスラー:愛の悲しみ
4. クライスラー:愛の喜び
5. クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ=カプリース op.6(ヴァイオリン・ソロ)
6. クライスラー:テンポ・ディ・メヌエット
7. クライスラー:プニャーニのスタイルによる前奏曲とアレグロ(プニャーニのスタイルによる)
8. クライスラー:ルイ13世のシャンソンとパヴァーヌ(クープランの様式による)
9. クライスラー:中国の太鼓
10. クライスラー:メヌエット(ポルポラのスタイルによる)
11. クライスラー:懐かしき歌(オールド・リフレイン)
12. クライスラー:ロンディーノ(ベートーヴェンの主題による)
13. クライスラー:アレグレット(ボッケリーニのスタイルによる)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
チェールズ・ライナー(ピアノ:1-4, 6-13)
録音時期:1963年1月、2月
録音場所:ニューヨーク
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
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『アフガン』2005年
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2024-03-13T15:21:00+09:00
2024-03-14T06:23:18+09:00
2024-03-13T15:21:37+09:00
yoshisugimoto
映画
『アフガン』(ロシア語原題:9 Рота。直訳は「第9中隊」)は、2005年のロシア映画である。アフガニスタン紛争中の1988年1月7日から8日にかけて行われた3234高地を巡る戦いをもとにした戦争ドラマ。イスラム武装勢力ムジャヒディンと対峙したソ連軍第345親衛独立空挺連隊(ロシア語版)第9中隊の兵士たちを、実話に基づき描いた作品。ロシア国防省が撮影に全面協力している。
ストーリー
1979年にソ連の軍事介入による侵攻により始まったアフガニスタン紛争から9年後の1988年、リュタエフらの若い志願兵はクラスノヤルスクを離れ、ウズベク・ソビエト社会主義共和国(現在のウズベキスタン)のフェルガナ盆地にある訓練キャンプで過酷な訓練を受けた後、当時のアフガニスタンの部隊や補給の重要拠点であるバグラム空軍基地に送られ、そこで第9中隊所属の新兵として配属される。第9中隊の任務は、輸送部隊を安全に通過させるための巡回であった。前哨基地のアナヴァ基地で食料などを引渡し、さらに前進して最後の巡回地区に到着後、輸送部隊の通過を見守っていた際にイスラム武装勢力ムジャーヒディーンの攻撃を受けてしまい、輸送部隊と第9中隊に多くの死傷者で出てしまう。(以上Wikipedia)ソ連のアフガニスタン侵攻
1979年12月、ソ連のブレジネフ政権が社会主義を掲げる親ソ派政権を支援するためにアフガニスタンにソ連軍を侵攻させたこと。ソ連軍に対しイスラーム原理主義系のゲリラ組織は激しく抵抗、ソ連軍の駐留は10年に及んで泥沼化し、失敗した。
ソ連のアフガニスタン侵攻にアメリカなど西側諸国が反発し、70年代の緊張緩和(デタント)が終わって新冷戦といわれる対立に戻った。これを機にソ連の権威が大きく揺らいで、ソ連崩壊の基点となった。
侵攻の理由
当時はその理由は明確にはされず、諸説あったが、現在では次の2点とされる。
・共産政権の維持。アフガニスタンのアミン軍事政権が独裁化し、ソ連系の共産主義者排除を図ったことへの危機感をもった。ソ連が直接介入に踏み切った口実は、1978年に締結した両国の善隣友好条約であり、またかつてチェコ事件(1968年)に介入したときに打ち出したブレジネフ=ドクトリン(制限主権論)であった。
・イスラーム民族運動の抑圧。同年、隣国イランでイラン革命が勃発、イスラーム民族運動が活発になっており、イスラーム政権が成立すると、他のソ連邦内のイスラーム系諸民族にソ連からの離脱運動が強まる恐れがあった。(以上『世界史の窓』)
サイクロン作戦(サイクロンさくせん、英語: Operation Cyclone)は、アフガニスタン紛争中の1979年から1989年にかけて、ムジャヒディンに武器や資金の提供を行ったアメリカ合衆国中央情報局 (CIA) の計画に対するコードネーム。
隣国パキスタンの支援を受けたのみならず、ソビエト連邦による侵攻の前から、アフガニスタン民主共和国政権と戦闘行為を行っていたイスラム武装勢力への支援を強力に推進した。1980年に数億ドル、1987年には63億ドルもの資金を投入しており、CIAが極秘裏に行った作戦としては最長かつ最も費用のかかったものの1つであった。アフガニスタン内戦中にムハンマド・ナジーブッラー率いるアフガニスタン人民民主党 (PDPA) と戦闘行為を行った1989年以後も、ムジャヒディンに対する資金提供自体は続くこととなる。(以上Wikipedia)ロシア映画だからもっと翼賛的な作品かと思ったが、軍の暗部も描いており、欧米の作品と変わらない。アフガンの事情がわかる作品は少ないので貴重だ。しかし、戦争映画としてはB級作品ということになる。何のための戦争か、戦争の大義はぼやかしてあるので、国家への忠誠もウソ臭くなる。ソ連軍は規律一つをとっても前近代的で、米軍と比較すれば見劣りする。
対外侵略戦争は恐ろしく金がかかるし、人命の犠牲も大きい。こんなことをやってる限り国の発展は望むべくもないが、ソ連もアフガン侵攻の結果、崩壊してしまった。一方、米国はイスラム武装勢力への支援を強力に推進したが、後年の同時多発テロの引き起こしてしまうことになる。アフガンは現在タリバンが政権を掌握し、イスラム原理主義政策で、女性の就学を禁じたりして問題となっている。アフガンは地政学的に今のような状態が今後とも続くだろう。
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