人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

録音を聴く

クラシック音楽とジャズとオーディオと歴史映画のブログ [杉本良明]


by yoshisugimoto

『ニュー・ワールド』2005年

『ニュー・ワールド』2005年_b0109511_22431815.jpg
英国人開拓者とネイティブアメリカンの娘ポカホンタスの許されない恋を描いたラブロマンス。テレンス・マリック監督の得意とする自然の光と影を巧みに取り入れた、息をのむ映像の美しさが圧倒的な歴史劇。
ストーリー
17世紀初頭、新大陸開拓を掲げた英国船がアメリカ大陸に到着。しかしその地には王ポウハタンが統治する先住民コミュニティが存在していた。船長は、反乱罪で裁かれるはずだったジョン・スミスを解放し、先住民との交渉役に任命。スミスはコミュニティに入り込もうとしたが、たちまち捕らえられ王の前に連行される。王の末娘ポカホンタスの助けによって処刑を免れたスミス。やがて二人は言葉や文化の壁を越え惹かれ合うのだが…
出典:『洋画専門チャンネル ザ・シネマ』
ローリーの入植失敗
 イギリス商業資本家の中に、新大陸に「ニューイングランド」を建設しようという関心が高まる。エリザベス女王はその寵臣サー=ウォルター=ローリーに対し、貴金属の発掘から得る利益の5分の1を国王に支払うという条件で、彼が植民し得る地域の全域に対する特許状(パテント)を与えた。ローリーは1584年、探検隊をノース・カロライナ海岸沖のロアノウク島に送り、翌年108名の開拓者を送ったが、彼らは植民に失敗。1587年、再度植民を試みたが失敗、全員行方不明となった。<ビーアド『新版アメリカ合衆国史』P.7-8>

ヴァージニア植民地の成立
 その後、特許会社のロンドン会社(後のヴァージニア会社)によって再度入植が試みられ、エリザベス1世の死後の1607年のジェームズタウン(国王ジェームズ1世の名による)の建設に成功し、イギリス最初の北アメリカ植民地となり、そのもとを作った先代の処女王エリザベスにちなみヴァージニアと名付けられた。入植者ははじめはスペイン人と同じく、黄金とアジアへの水路の発見をめざしたが、それらを果たすことは出来ず、インディアンから学んだタバコの栽培に成功して本国に向けての輸出品として大きな収入が得られるようになると、入植定住してプランテーションを経営する形態が確立した。当時この地域はインディアン(入植者側の呼称であるが)が大きな集落を造り、首長のポーハタンに率いられていた。ヴァージニアの入植者は当初は友好的であったが、食糧危機に直面した1610年からインディアンの村を襲撃するようになり、インディアン側も反撃したが次第に排除されていった。

Episode ポカホンタスの物語
 イギリス人の最初の入植地ヴァージニアのジェームズタウンは、インディアンのポーハタン族の支配する地域であった。105人の最初の入植者は次第に食料に困るようになり、インディアンの部落を荒らし、食料を奪ったので、ポーハタン族との関係は悪化した。入植者の指導者の一人ジョン=スミスもインディアンと戦い、捕らえられ殺されそうになったところを、酋長の娘ポカホンタスの助命で助けられた。現在でもジェームズタウンの町には恩人ポカホンタスの銅像が建っている。ポカホンタスはその後、白人青年ジョン=ロルフと結婚した。ロルフはポカホンタスに助けられ、ジェームズタウンで初めてタバコの栽培と乾燥に成功する。レベッカというクリスチャンネームを授けられたポカホンタスは、1616年に夫とともにロンドンに赴き、大歓迎を受けた。しかし不幸にも天然痘のためイギリスで死んだ。<中屋健一編『世界の歴史』11新大陸と太平洋 中央公論社 1961 p.7>
以上『世界史の窓』

映画のストーリーには引き込まれるほどのものはないが、とにかく映像が美しい。英国は北アメリカには16世紀に入植しようとしたが失敗、17世紀にようやく成功した。ちょうど江戸時代が始まったころである。英国ではエリザベス時代が終わってジェームズ1世の治世だったので、ジェームズタウンと名付けられた。ポカホンタスはこれまた数奇な運命を辿った女性だが、早世したのは残念。

『ニュー・ワールド』2005年_b0109511_22432591.jpg

名前
URL
削除用パスワード
by yoshisugimoto | 2024-07-30 22:36 | 映画 | Comments(0)