『スパルタ総攻撃』1962年
2024年 05月 13日
概要
紀元前480年、古代ギリシアのポリス連合とペルシア(アケメネス朝)が戦ったペルシア戦争の中で、スパルタ軍を主力とするギリシア軍とペルシア軍が戦ったテルモピュライの戦いを描いた歴史映画。特に、わずか300人の軍で10万以上のペルシア軍と戦うスパルタ軍とスパルタの人々を中心に描いている。
ギリシャでロケが行なわれ、ギリシャ政府が協力した。
あらすじ
紀元前480年、ペルシア王クセルクセスは周りのアジア・アフリカ諸国を次々に征服し、次にギリシアへ侵攻しようとしていた。ギリシアはこれを迎え撃つべく、 レオニダス王率いる、少数ながら屈強な戦士を揃えるスパルタに全軍の指揮を委ねることにする。
こうして、テルモピュライにおいて、300人の屈強なスパルタ軍に援軍を加えたギリシア軍と、10万以上ものペルシアの大軍との戦いの火蓋が切られた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スパルタの三百人隊
2006年の『300』の原型となった作品。『300』はCGを駆使したファンタジーで、歴史ものに含めるのには躊躇するが、『スパルタ総攻撃』は丁寧なつくりで好感が持てる。しかし、2時間に満たない小ぶりな映画で、主演のリチャード・イーガン(レオニダス王)も大スターとは言えない。賞をとったわけでもなく、あまり話題にならなかった作品のようだ。
スパルタの三百人隊
レオニダスが率いたスパルタの三百人隊というのは、後継ぎの子供のある者たちだけの中から選りすぐった伝統の部隊。他のポリスの軍はペルシア軍に対する戦意が無く、南下するペルシア軍に立ち向かうのはスパルタ軍だけとなった。テルモピュライはアテネの北方にあり、山と海にはさまれた隘路となっており、ペルシア軍を阻止する戦いに選ばれた。現在は海岸がはるかに後退して内陸になっている。この戦いもヘロドトスの『歴史』に詳しく描かれているが、スパルタ兵の戦術は次のようなものだった。
(引用)スパルタ人の奮戦は目覚ましく後世に伝えるに足るものがあった。戦術を究め尽くしたものと戦うすべを弁えぬもの戦いであることを、まざまざと示した戦いぶりであったが、中でも特筆すべき戦法は、敵に背を向けると一見敗走するかのごとく集団となって後退するのである。ペルシア軍は敵の逃げるのを見ると喊声を挙げすさまじい音響を立てつつ追い迫る。スパルタ軍は敵の追いつくころを見計らい、向き直って敵に立ち向かうのである。この後退戦術によってスパルタ軍は無数のペルシア兵を倒したのであった。<ヘロドトス『歴史』巻七 211節 松平千秋訳 岩波文庫(下) p.134>(以上『世界史の窓』)
2006年の『300』の原型となった作品。『300』はCGを駆使したファンタジーで、歴史ものに含めるのには躊躇するが、『スパルタ総攻撃』は丁寧なつくりで好感が持てる。しかし、2時間に満たない小ぶりな映画で、主演のリチャード・イーガン(レオニダス王)も大スターとは言えない。賞をとったわけでもなく、あまり話題にならなかった作品のようだ。
三百人隊は全員後継ぎの子供のいる兵士なので、命を差し出す覚悟のできた者ばかりだった。テルモピュライは山と海にはさまれた隘路だったので、馬やチャリオットは役に立たず、日頃から鍛錬したスパルタ兵は圧倒的に強かった、というのが良く分かった。ただ勧善懲悪的に、スパルタ=自由=善、ペルシャ=専制=悪、のように描かれているがそういうものではないはずだ。アケメネス朝は帝国の運営が巧みだったし、ギリシャまで大軍団を遠征させる兵站や組織力は凄いというしかない。
by yoshisugimoto
| 2024-05-13 19:11
| 映画
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