『ディバイナー 戦禍に光を求めて』2014年
2024年 04月 16日

2014年度のオーストラリア・アカデミー賞の作品賞などを受賞している。
ストーリー
1915年、第一次世界大戦中のトルコ。イギリスの指示でガリポリに侵攻したオーストラリアとニュージーランドの志願兵からなる部隊は、トルコ軍との戦闘で多くの死者を出し撤退する。
時は経ち1919年、オーストラリア。農夫のジョシュアは4年前のガリポリの戦いで三人の息子を失った。心労から妻のエリザは亡くなり、一人になったコナーは息子達を捜しにトルコに向かう。
トルコに着くと、大戦は終わったもののギリシャ軍が侵攻しており、やっとの思いでイスタンブールに着いたジョシュアは、ある未亡人が経営する宿にたどりつく。 宿の女将アイシェはガリポリの戦いで夫を失った未亡人であり、ジョシュアがかつての敵オーストラリア人だと知ると、始めは宿泊を断ろうとするがしぶしぶ受け入れる。やがて互いに伴侶を失っている二人は、少しずつ心を通わせる。
ガリポリにたどり着いたジョシュアは、戦没者の埋葬部隊を指揮するイギリス軍のシリル中佐から、現地に詳しいトルコ軍のハーサン少佐を紹介される。 ジョシュアは農夫だが、水脈を探し当てる職人"The Water Diviner"でもあり、その特殊な能力も生かしついに次男と三男の亡骸を発見し、現地の共同墓地に他の戦死者たちと共に埋葬する。
やがてハーサン少佐から、長男アーサーが捕虜収容所で生存している可能性を知らされると、ジョシュアはギリシャ軍が侵攻している戦闘地帯へ救出に向かう。 ハーサン少佐も同行してくれるが、途中ギリシャ軍の攻撃を受けるとジョシュアとハーサンは共に助け合い、ついにアーサーを救出する。
そして再びイスタンブールに戻ったジョシュアは、アーサーを連れてアイシェの宿に向かうのだった。(以上Wikipedia)
オーストラリアとニュージーランドは共にイギリスの旧植民地であり、地理的にも南半球の近い位置にあり、同盟関係にある。事実上の独立後、間もない時期に第一次世界大戦に参戦し、合同部隊が激戦を戦ったことは、両国の自立と絆を強めることとなった。このため、両国の戦争追悼日はANZACの日 (ANZAC Day) と呼ばれ、オーストラリア・ニュージーランド軍団が最初に投入されたガリポリの戦いに因む4月25日となっている。また、ANZAC精神 (ANZAC legacy) という両国兵士が示した気風を意味する語も作られている。(以上Wikipedia)
どう考えて映画向けのありえないストーリーだ。何年も経った後の広大な戦場で遺体が特定できるのはありえないし、トルコ人がギリシャ人相手の戦地に向かうのにかって敵であったオーストラリア人を伴うのもあり得ない。そして、その戦地で長男と再会するというのはまず絶対にあり得ない。オーストラリア人とトルコ人の間に言葉の障壁がないのもおかしい。
ANZAC(アンザック)は、オーストラリアおよびニュージーランド合同の軍事組織を意味する語。語源は第一次世界大戦時に編成されたオーストラリア・ニュージーランド軍団 (Australian and New Zealand Army Corps) のアクロニムに由来する。(中略)
どう考えて映画向けのありえないストーリーだ。何年も経った後の広大な戦場で遺体が特定できるのはありえないし、トルコ人がギリシャ人相手の戦地に向かうのにかって敵であったオーストラリア人を伴うのもあり得ない。そして、その戦地で長男と再会するというのはまず絶対にあり得ない。オーストラリア人とトルコ人の間に言葉の障壁がないのもおかしい。
突っ込みどころ満載だが、それでも映像は美しいし、エンタテーメントとしても楽しめる。戦争映画は絶望的・虚無的になりがちだが、この作品には希望を感じる。映画とはこのようにつくるものだという一例。映画はドキュメンタリーでなくても構わないので、突っ込みどころ満載でもいいわけだ。個人的に昨年イスタンブールを訪れているので、ブルーモスクは懐かしいし、トルコの事物にも愛着を感じる。ガリポリの戦いにオーストラリアが同盟国として参戦した事実も初めて知った。
by yoshisugimoto
| 2024-04-16 23:36
| 映画
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