ストリーミング
2022年 01月 19日

ストリーミングがぼちぼち流行り出して、雑誌で特集が組まれたりしている。進歩はいいこととは思うが、個人的に利用することはまずない。手持ちの音源がすでに膨大で、ストリーミングに手を出したいと思えない。やはり音源はデータとして個人持ちしたい派なのだ。
音楽を出来合いの状態で流すだけで自分のものになるのだろうか。いろいろジャケット違いがあるので、自分の好きなものを選びたいし、演曲や演奏者なんかも必要応じてに日本語にするとか、曲順を変えるとか、音源を自分でカスタマイズできないと自分のものにならない。さらにヒストリカル音源が好きなので、希少盤がなんでもかんでもストリーミングで手に入るということでもない。
たとえると図書館から借りて読むから個人蔵書は要らない、とは「ならない」のに似ている。すべてではないにしても個人蔵書として手元において、書き込んだり付箋を貼ったりしたいのと同じことだと思う。もちろん図書館でなんでも借りられるということは素晴らしいことである。
ストリーミングはとりあえずどんな曲か知りたい程度なら使えそうだが、これとてYoutubeで十分・・・と突き詰めていくと自分とは今のところ接点がなさそうだ。

同感です。小生もCDが2000枚超なので、ストリーミングまで
手を出す余裕がありません。
また、パッケージメディアなんてかさばるし処分にも困ると言う
合理性を考えられる方が居ますが、昔人間である小生は「パッケ
ージメディア」を所有することで満足を得ております。
手を出す余裕がありません。
また、パッケージメディアなんてかさばるし処分にも困ると言う
合理性を考えられる方が居ますが、昔人間である小生は「パッケ
ージメディア」を所有することで満足を得ております。
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「蔵書」がないとだめですわ。FMやストリーミングでいいという人は要はそれだけの人です。
by yoshisugimoto
| 2022-01-19 07:13
| クラシック音楽CD
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Comments(2)