着色映像とサラウンド
2015年 01月 02日
録音はいろいろなポイントで拾った音を、最終的には2チャンネルにミックスする。それを部屋の2箇所で再生して、いろいろなポイントで拾った音を再現しようとする試みである。そう考えれば、録音もいいかげんだし、再生もいいかげんだ。だから、再生には「着色」に相当する行為があってしかるべきだと考える。
「着色」とは私の場合サラウンド、つまりスーパーステレオである。要するに音場創成だ。まさに「着色」である。スーパーステレオは事業としては成功しなかったが、ごく少数ながら私を含めて愛好者がいる。
「音場創成」を録音技術者に対する冒涜だ、と考える人もいるらしい。しかし、録音もいいかげんだし、再生もいいかげんであることが理解できれば、それは誤解もいいところである。
我が家ではステレオのメインSPのほかに前・横・後の6本のエフェクトSPがかなりの音量で鳴っている。しかし、ぱっと聴く限りでは鳴っていることを全く意識しない。しかし、エフェクトSPを切るととたんに寂しくなる。カラー化した写真がモノクロにもどるような感じだといっておこう。
だから、我が家にあっては録音の新旧はほとんど問題にならない。SP録音もサラウンドで再生しているが、着色写真がカラー写真と比較しても違和感がないのと同じである。
ところで音場創成は突然生み出されたものではない。昔は4チャンネルステレオがあったし、少し遅れてステレオを4ch化するサンスイのQS-1、QSD-1といういうのもあった。
サラウンドに注目したのは、長岡さんや高島さんをはじめごく少数であるが、隠れキリシタンみたいなものだろうか。五味康祐氏はQS-1をあまりいいように書かなかった。マッキンをそんな廉価アンプに繋げるか!という論旨であったと思うが、当時はプロセッサーのボリュームでメインスピーカーの音量を調整する設計だったのかも知れない。プリアウトの端子が2系統あればそんなたわごとは書かなかったと思う。本人にそのつもりはなかっただろうが、実はサラウンドの迫害者(笑)である。
by yoshisugimoto
| 2015-01-02 08:58
| オーディオ
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