中流階級の没落
2014年 09月 06日
そこで行われることは、徹底的な量産品の見なおしだ。グローバル化した会社は日本であまり雇用はしないが、会社としては成長する。大手の製造業はそうである。こういう会社の業績はいい。でも、ほんの一握りの会社である。グローバル化した企業は、税金を絞ろうとすると国を捨てて出て行くことだろう。
一方、国内に製造拠点をもっていたら、高い製品しか造れない。成り行きまかせでは、こういう会社の業績は悲惨だ。無理なリストラ、無茶なコストカットをしたところで、大半は早晩消えていく運命にある。デフレスパイラルで回復のしようがない。999円のジーンズや280円の牛丼の前に立ち尽くすばかりである。そんななかで中流階級がどんどん消滅しつつあるわけだ。
こうした状況下で、オーディオ業界も同じ傾向が認められる。中間層の消滅と、ローエンド・ハイエンドの二極分化だ。とはいえ、少数の企業は知恵を絞って「知価」で生き残ろうとする。国内で「知価」で生き残っているのはアキュフェーズが筆頭格であろう。
ハイエンド商品はとにかく粗利が大きくないとやっていけない。そのため価格設定が、製造原価を大きく離れたところでなされる。メーカーも生き残りをかけて、懸命に知恵を絞っているのである。文化とはそういうものだ。ぼったくりなどとと言って批判ばかりしている人は、あまり文化の何たるかを理解していないと思う。
しかし、かく言う筆者もハイエンド商品にはある種のアンビバレントな感情が避け難い。長岡さんのダイナミックテストを読んで育ったせいもある。
たとえばコレをみていると、そんな思いを強くする。
800万円は田舎なら家一軒買えるんだけどなぁ、と思ってしまう。この製品なら1/10の80万円の定価でもつくれるのではないか。これならJBLのエベレストのほうが断然割安だ。オーディオのタニマチみたいな人が買うに違いない。お金が有り余っている人はいる。
オーディオ業界にとって、こうした製品も出されるほうが出されないよりは断然いいとは思う。でも自分と接点はない。かなり価値観が異なる感じがする。そう考えると少々複雑な気持ちになるのはやむをえないところである。
by yoshisugimoto
| 2014-09-06 08:31
| オーディオ
|
Comments(0)