『音楽、オーディオ、人びと』 中野英男著 音楽之友社
2014年 01月 22日
トリオは後年ケンウッドと名前を変え、今はビクターと合併して、JVCケンウッドとなっているが、2つ合わせても注目すべき製品が見当たらない。往時がうそみたいだ。オーディオのトリオは実質消滅した、と言っていいだろう。一方、トリオから独立したアキュフェーズは日本のオーディオメーカーの最後の牙城と言ったらいいだろうか、今でも立派なものである。創業者の中野家と春日家は明暗分けた形となった。もっとも、中野氏の長男の雄氏は音楽プロデューサーとしても活躍しておられる。
読んで感じるのは、当時はオーディオはロマンと情熱に満ちていること。なぜ今日ここまで凋落してしまったかと思う。やはりアナログからデジタルに時代が進んだのが大きいと思う。
アナログ時代は、トランスを始めとして、トーンアームとかターンテーブル、テープレコーダーといったハードが高価で、そうした機器が大きな市場を形作っていた。FMチューナーにしても、バリコンやフライホイールといったメカの比率も高かったのだ。今はアンプ・スピーカーも含めて大部分が小型化されてしまった。その結果一般大衆にはコモディティ(日用品)となってしまった。
大手メーカーは大衆相手のビジネスを継続してきて、軒並み撤退・廃業の憂き目を見た。結果的には、アキュフェーズみたいに高級品に特化しないと生き残れなかったわけである。その意味では、この本で中野氏が述べている意気込みも、今となっては若干ずれている感もある。大衆市場を相手に高邁な理想を語っても企業経営は成り立たない時代がすぐ目の前に到来していたからだ。今日、オーディオは大半ガレージメーカーが幅を利かすようになってしまったし、マニアは中高年ばかりになってしまった。業界の未来は明るいとは言えない。
しかし、いちマニアとしてはオーディオはまだまだ面白いと思う。ロマンと情熱に満ちていた時代の書き物を読むと、大いに刺激を受けるのである。
スピーカーは本当の意味でHi-Fiとなったのは、JBLの4341あたりからではないかと思う。それまでのヴィンテージSPはジャズ向きとかクラシック向きとかの分け方をされていて、それは大いに当たっていたわけだ。型番4343に進むと大ヒットしたのは周知の通り。
4343の前身として4350があった。これもジャンルを問わない再生能力があったが、家庭用としては大き過ぎたし、高価すぎた。4343は価格はともかく、家庭用として適当な大きさだった。音響レンズのついたホーンは必ずしもクラシック向きではなかったが、鳴らし方次第では破綻なく鳴らした。そういうこともあって、晩年の瀬川氏が4341をメインSPにしていたのだと思う。
個人的には4343みたいなSPよりは、古いヴィンテージSPに魅力を感じる。しかし、ヴィンテージSPは特定の音楽ジャンルに対しては、うまく鳴らないものという割り切りが必要なのだと思う。
スピーカーも80年代になると、ジャズ向きとかクラシック向きがあまり明確ではなくなった。しかし、低能率SPばかりになってしまった。21世紀になると、バッフルの幅が狭い、小口径マルチウーファーのトールボーイSPばかりになり、画一化されてしまった感がある。
現代SPはなるほど昔よりはHi-Fiかもしれないが、高能率だったヴィンテージSPのような明確な個性が不足しているように思う。個性のないのは進化している証拠であるわけだが、その分往年の多様さや面白さがなくなったように感じるのは筆者だけではないだろう。これもオーディオの衰退とともに現れた現象である。
by yoshisugimoto
| 2014-01-22 21:38
| オーディオ
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