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by yoshisugimoto
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ザビア・クガート

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ザビア・クガート(Xavier Cugat、1900年1月1日 - 1990年10月27日)は、スペイン出身でアメリカ合衆国で活躍したラテン音楽楽団のバンドリーダーである。『ルンバの王様』とも言われる。

1900年、スペイン・カタルーニャのジローナで生まれる。本名はフランセスク・ダシス・シャビエ・クガ・ミンガイ・デ・ブル・イ・デウロフェウ(Francesc d'Assis Xavier Cugat Mingall de Bru i Deulofeu)。5歳の時に家族ともどもキューバに移住する。ハバナでクラシック音楽のバイオリニストとして教育を受ける。1915年7月6日、家族とともにニューヨークに移住する。早いうちに音楽業界で活躍し、タンゴがブームとなっていた時代にバイオリニストとして楽団『ザ・ジゴロス』(The Gigolos)に所属する。しばらくして、『ロサンゼルス・タイムズ』で漫画を担当した。漫画家としての仕事は長く続かず、音楽業界に戻ってバイオリストとしてよりは編曲そして指揮の方面で活躍することとなる。

1920年代後半には音声つき映画が定着し始め、音楽入り映画も普及し始める。映画編集者としてクガートは短編ミュージカル映画にタンゴ楽団の録音を入れる作業を手がける。1930年代始めごろ映画音楽でザビア・クガートの楽団が注目を集め、以後バンドリーダーとしての活動に専念することとなる。 1931年に、ニューヨークを代表する高級ホテルであるウォルドーフ・アストリア・ホテルの現在の建物が完成し、オープニングセレモニーにサビア・クガートの楽団が招待される。ホテル所属の楽団のリーダーが、ジャック・デニーからクガートに代えられる。それから、16年間、ウォルドーフ・アストリア・ホテル楽団を指揮する。それと同時に、ロサンゼルスとニューヨークとを行き来するようになる。

1934年には、ラジオ局の土曜の番組3時間を担当するまでになる。映画にも数多く出演することとなる。1940年には、アルベルト・ドミンゲス作曲の『ペルフィディア』(Perfidia)をヒットさせ有名にしている。アメリカ合衆国において、マンボやルンバなどラテン音楽の地位を固める貢献者の1人となる。1946年には、『マイアミ・ビーチ・ルンバ』(Miami Beach Rhumba) が全世界でヒットしている。 1970年にスペインに戻るが、1990年まで音楽活動を続ける。日本においてもラテン音楽愛好者の間では知名度が高い。1990年10月27日、スペインのバルセロナで死去。なお、ザビア・クガート楽団はその後もしばらく活動が続けられた。
(以上 Wikipedia)

ベスト盤を買ってみた。経歴からして20世紀前半の人と言っていいだろう。録音は時代を感じる。懐古趣味の人向け。一時女優・歌手のアビ・レーン(下)の夫だった。拙者はこちらの方が( ^ω^)・・・

1 Cuban Love Song
2 Babalu
3 Begin the Beguine
4 Brazil
5 Time Was (Duerme)
6 Green Eyes
7 Jealousy
8 Jungle Drums
9 Night Must Fall
10 Para Vigo Me Voy
11 Perfidia
12 Yours
13 South America, Take It Away!
14 The Breeze and I
15 The Coconut Pudding Vendor
16 The Lady in Red
17 The Rumba-Cardi
18 Whatever Happened to You?
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by yoshisugimoto | 2017-04-24 07:10 | クラシック音楽CD | Comments(0)